【美味しんぼ】海原雄山の名言集

アニメ
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海原 雄山(かいばら ゆうざん)

出版社:小学館 掲載誌:ビッグコミックスピリッツ ジャンル:グルメ

原作:雁屋哲

山岡士郎の父。作中に於いては『もうひとりの主人公』とも言える存在。
希代の美食家。また陶芸・書道・絵画・文筆にも秀でた100年に一人出るか出ないかと言われる天才芸術家。「美食」を芸術の一分野と考えて美食を極めることを課題とし、それが嵩じて会員制料亭「美食倶楽部」を主宰している。

日本人にとって桜の花は特別の意味を持つ。塩づけの花が手に入るなら、たとえ季節外れでも、祝いの場に桜の花をかざりたいのが心情だ。
そんな者は、私にものを教わる資格はない。帰れ。
美食を芸術まで高める条件は、それは唯一、人の心を感動させることだ。
そして人の心を感動させることが出来るのは、人の心だけなのだ。
材料や技術だけでは駄目だっ!!それが分からぬ人間が究極のメニューだなどとぬかしおって、おまえには味を語る資格はないっ!
…士郎に言っておけ。一番うまい豆腐は、やはり豆腐なんだと。
せっかくのうまい寿司が、おまえたちみたいなガサツな連中と一緒では楽しめん。
政財界の大物だと?下衆な根性をさらけ出しおったな。この海原雄山、天が下に恐れるものいっさいなし!ただ自らの芸術の完璧ならんことを追及するのみ。
よいか、カレーの真髄とはなにか!材料に変わった物を使うことか!?豚の代わりに、牛の代わりに、蟹を使うことか! そうではあるまい! カレーの真髄はスパイスだ。いかにスパイスと材料を取り合わせるか、それがカレーの真髄だ。ありふれた材料である豚肉を使って、味と香を重層的に構築してみせる。これこそがカレーの真髄というものだ。
野良犬の一匹や二匹ひき殺したからといって、いちいち私の車を止めるな!
やかましい!腕の良し悪し以前の問題だ、こやつには料理をする資格がないっ!!
ふん…ちょっとこの近くを通ったら、昼間の話を思い出してな。ただの偶然だ。
なんという混み方だ! 必要もない連中が車に乗るからだ!! 馬鹿どもに車を与えるなっ!
士郎は、そんな殊勝な人間ではない。あの男のことを、そんなに善意に解釈するのは、とんでもないことだ。あの男は、下ごしらえ不十分な肝臓みたいな男なのだ。 ま、この鶏の足は奴にしては食える味だ。
私を殺したら、お前の店の味が上がるとでも言うのか? では殺してみるがいよい。
私が笑ったのは、あなたがあまりに滑稽だからですよ。なぜなら、あなたは自殺と長生きを両方願う愚か者だからです。
女将を呼べッ!
この大馬鹿もの!この皿は古備前の名品だぞ! それを割ってしまいおって! この皿一枚ほどの価値のないおまえが! 死ね!死んで償え!
その満座の中で大原社主を笑い倒して、赤っ恥かかせてやろう。今夜が楽しみだ、わあっはっはっはっ!
私は少なくとも勝ったとは言えんな…こんな日が来るとは…士郎の奴めが…
私はあの中からは選ばない、絶対に。あの囲いの中の仔牛は、全部牡だ。
ところが究極の鍋料理、もてなしの心を極めたとほざいたが、そのもてなしの心たるや、先生のおもてなしの心とは大違い。こだわりだらけ大濁りに濁っている。
そんなに無理してまで、レタスやセロリを食べることもない。生で食べてうまい野菜を食べればいい。その答えがトマトだ。
全く…アメリカ人好みのあさましい食い物だ…
人の心を感動させるのは唯一、人の心をもってのみ出来ることなのだ。 それを忘れて、「究極のメニュー」とやらを求めてみても、それはただのグルメごっこ、悪質で愚劣な遊びに過ぎない!!
もう少し賢い娘かと思っていたが。他にいくらでも男はいるのに、あんなクズを選ぶとは愚かな娘だ。
何だこの器はっ!! よくもこんな器をこの海原雄山の前に出したなっ!! こんな器で料理が食えるか、不愉快だっ!!
まったく、いい迷惑だった。
今日の場合もそうだ。私に二度と会えないと思えば、その材料を一番美味しく食べられる料理法を見つけだす。それが本当に人をもてなす道だと思わぬか。 では聞くが、生ガキがカキの一番美味しい料理法か? オードブルに生ガキ、生ガキにレモン、決まりきった一皿ではないか! ここには真心を込めて人をもてなそうという真摯さも、新しい味を発見しようとする気概もない。世界中のうまい物を取り入れて、新しい味を発見するなどと能書きは立派だが、最初の一皿で馬脚を現しおった!
やはりスキヤキは肉の味のわからぬ者の料理だなっ!
きさまごとき、リゾート開発などとぬかして国土を食い荒らして浅ましく肥え太った寄生虫になにができるか、やってみろ!
合同披露宴には出てやろう。近城、二木、両名のためでも、士郎のためでもない。おまえのためにな。
見ろ!!手が汚れてしまった!! 中川!!二度とこんな物を私の食卓に出すなっ!!
こしゃくな娘だ。私の妻より一枚上をいくとはな。
まず究極側は、鍋料理の本質を心得違いしている。鍋料理はいっしょに食べる人同士がくつろぎ、心を通い合い親しくなれる、またそのための料理だと言う。しかし、それならなにも、鍋料理に限ることではない。バーベキューでも、花見、月見の宴会でも、はたまた一本のヤキイモを分け合って食べても、心はなごみ親しくなる。だいたい人と人とが心を通い合うのに必要なのは、鍋料理がいいかバーベキューがいいかなどという技術論ではない。それこそもてなしの心なのだ!
ヘリコプターを使えばもっと鮮度が上でうまかろう。
生野菜を食べるのに、これだけ多種多様のドレッシングを必要とするのは、人間が生野菜を、本質的に好きではない証拠だと。
お前とは親子の縁はとっくに切ったはずだ!! 私にとってお前は、せいぜいのところ路傍の石にへばりついているクソ虫にすぎん。 お前みたいな目ざわりなクソ虫を徹底的に叩き伏せて、二度と世間様に顔出しできなくさせてやるためだ!
ふん…個人的に礼を言われる覚えは無いな。あれは国のためにしたことで、栗田ゆう子のためじゃない。
さて、今日この惣菜料理を披露宴の料理として選んだ理由だが、それは、”みすぼらしさ”にある。このみすぼらしさこそ、私がふたりに贈りたいものなのだ。

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